| NO.914694 ・優しい時間さん(男性/58歳)
 2016/08/27 23:24:34
 
 | その気持ち、よく分かりますよ。。。 
 私も天職の建築設計業に幕を綴じ、新たに大2の仕事、「知的障害施設」で働くようになりました。
 
 まさに貴女と同じ心境。。。
 
 社会的弱者養護の観点から、あるいはハンデという生まれながらにして負い目を背負った方々に寄与したいとの一念で始めた仕事ですが、想像以上のメンタルリスク。。。「これ」を凌駕するには、神にもならない限り、無理ではないかとさえ思っています。
 
 障害者といえども感情はある。。。不平不満も多々。。。その不満に答えることは、相手を尊重するというよりも、自己の感情を滅してまでもつきあう必要があるようにも思う。。。辛いですね。
 それはまるで「過保護」ともいえるくらいの対応に。。。
 だから、貴女の気持ちは痛いほど分かる。
 
 でもね。。。生きるということは「苦しみ」「哀しみ」その全てもまた、生きることなんですよ。。。それは仕事の概念すら超越するほどに。。。
 
 私から貴女にアドバイス出来るとしたら、「遠からず近からずの距離」を保つことです。相手を健常者と考えないこと。
 考えたら腹も立つ。。。
 
 人であるがゆえに「文句もいう」し、侮辱されることもある。。。
 
 これだけ賢命に努めているにも関わず。。。
 
 貴女が悩むのは貴女がまだ、巷の概念に囚われているから。。。
 
 「そこ」は違うのですよ、世間とは。。。
 
 『割り切る』ことですね。
 みんな介護職に着く人を「私には出来ない」と申されますが、それはなんとなくその世界がとんでもない世界だと感じているから。
 
 悪口を人の言動と捉えるから苦しみともなる。
 
 彼らは、自立していません。。。だったらその言葉にはリアリティーがないと自覚なさるのです。
 これは蔑視ではない。。。そう思わないと出来ない仕事なのです。
 
 「雲煙過眼」であること。
 
 悟ることですね。
 
 感情に左右されないことは、「達観」というプリズムが必要なのですね。
 難しいと思います。。。でも、そう思わないと出来ない仕事でもあるのです。
 
 人は根から博愛にはなれない。。。でも、貴女も優しい方だからこそ、そのお仕事を選択なされたはず。。。つまり、貴女しか出来ない仕事でもあるのですね。
 健常者の傲慢を受け入れることは無理です。
 でもハンデある方なら出来ることもある。
 みんな人権人権と唱えますが、それを受諾するには、本当の真理を得るしか到達できない。。。そんなハードルの高い概念を簡単に出来るはずもないのです。
 
 「修行」だと思ってください。
 
 語弊があるかもですが、ワンちゃんが吠えてると思えばいいのです。
 
 よく言いますよね、大勢の前で演説する時、ギャラリーをじゃがいもだと思えって。。。それと同じ。
 
 それでもいつか貴女の努力と介護の誠意はきっと伝わると思いますよ。
 時間は要するでしょうが。。。
 文句を毎日言ってる本人も諦めてもきますしね/笑。
 
 まあ、そんな憂さも、同じ悩みにある同僚なんかとたまに酒でも呑んで、憂さ晴らしでもしましょう。。。
 「あの婆さん、私ムカツクのよね」って。。。
 
 そしてまた、次の日「おばあちゃん、元気?」って優しく声かけしてあげればいいんですよ。
 あらゆる事情を生成して、付与し、レンダリングを重ねてくださいね。
 
 その内、気にならなくなるから。。。
 
 辞めたらダメだよ。。。貴女は今、一番肝心な時だから。。。
 そこを凌駕した時、貴女は介護のプロフェッショナルになってるから。。。
 
 元気出してくださいね。。。お互い頑張ろうね。。。V
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